tottoco | 川口 塔子について
Profile
tottoco 川口 塔子 :コミュニケーションプロデューサー
1990年 鹿児島市 生まれ。
社会学部 社会政策科学科 卒業。
新卒で,都内スタートアップ企業における新規事業(大学生向け自転車シェアリングサービス)
の立ち上げ期に関わり,主に新規事業ブランディング,法人営業を経験。
また,派生事業の学生向けインターン(育成型)の企画運営を担った。
その後,都内NPOに転職。首都圏から地方への移住支援を行う「相談員業務」に従事。
初代,鹿児島県移住・交流相談員として2年間で延べ900 件近くの相談を対応し,
21組35名を県内 に移住者として送り込んだ。
生まれ故郷の鹿児島に関わる仕事に就いたことにより,郷土愛がより一層強まり,
自らも鹿児島県へUターンすることを決意。日本一のお茶のまち「南九州市」へ移住した。
【フィールド KEY WORD】茶業 / 農業 / 移住 / 教育 / まちづくり
【テクニカル KEY WORD】企画 / PR戦略 / 営業 / プロデュース / ブランディング/ ファシリテーション
|わたしと知覧茶
幼少期から母の影響で日本茶がとても身近だった。食後にお茶。おやつにお茶。
我が家にはいつもお茶があった。
夜遅くまで受験勉強をしていると,
母が寝る前に急須で淹れたお茶を持って,私の部屋に来てくれていたのは今でも忘れられない。
しかし,東京に出てしごとを始めると,途端にお茶を飲まなくなった。
急須で淹れる1分が待てなかった。
きっとガムシャラに仕事をしている女性はみんなそんな気持ちなんだと思う。
再び,お茶を大切に思えたのは,それからだいぶ経って,
首都圏で鹿児島をPRするしごとに就いてからだった。
なによりも,「こんなに美味しいお茶があるまち」に生まれたことが誇らしかった。
そこからどんどん日本茶の魅力にのめり込んでいき…
ついに「知覧茶のまち」鹿児島県南九州市へ移住。
右も左も分からない,お茶の素人だった私が,
少しずつお茶の本筋のお仕事に関われるようになってきたのは,つい最近のコト。
現在は知覧茶のブランディング支援・販促・PRを中心に,
基幹産業である「茶業」を”ウラカタ”から支援するため,日々,経験と勉強を重ねている。
鹿児島県「南日本新聞」2020年5月21日朝刊
「鹿児島人物語」に掲載いただきました。
過去から現在に至るまでの変遷を、枕崎支局長 藤本記者により丁寧に記事にしていただきました。
月刊「茶」2019年3月号
巻頭言〜地域おこし協力隊が見る地域と人とお茶〜
に掲載いただきました。
株式会社吉村 「茶事記 第82号(2019年秋冬)」
〜ガンバルこの人㊵〜 にご掲載いただきました。
|わたしと社会事業
27歳の秋に発症した「悪性軟部腫瘍(希少がん)」の闘病の経験から,
医療や福祉,社会事業立ち上げの分野でお手伝いできることを少しずつはじめている。
元々,「社会起業家」という社会課題を事業で解決する存在に憧れを抱き,
学生時代はNPO(特に起業家育成や人材育成などの中間支援団体)のスタッフとして,
たくさんの人と出逢い,多くの社会課題と向き合った。
その当時は,自分が”社会起業家になること”を目指していたが,今やっていることは,ちょっと違う。
どちらかというと,自分ではない,地域の原石といえる存在をスターにすること,
つまりは”社会起業家を生むこと”をしている。
これからは,志ある者の”伴走”をしていきたいと思っている。
がんになった人はみんな思うことかもしれないけど,
「もしかしたら死ぬかもしれない」と思った瞬間が何度もあった。
希少がんゆえに,治療法が確立されておらず,いつも”一か八か”の選択を迫られた。
それなのに事はいつも好転した。”生かされてる”と思った。
私が生きている意味,生かされている意味は,
きっと今,地域を,社会を,日本を…いや世界をより良くしている人たちの
お手伝いをすることなんだと思う。
この地域から,たくさんのスターをプロデュースしていきたい。